がむしゃらに頑張るべきとき

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ひたすらがむしゃらに頑張るべきときがあります。

そのときには、嫌で逃げたくてうんざりしていたとしても、あとになって

「あのときは、ひたすら頑張ったからこそ今があるんだなあ」

と自然に思えることがあります。

体も心も、十分な弾力があれば、困難を跳ね返して先へ進むことができます。

へとへとになっても、朝には回復しているような耐力がある時期は、です。

心と体の弾力がなくなり、あと少し外力が加わったら壊れそうなら、それは頑張るべきときではありません。

頑張らずに、がまんすべきときなのかもしれません。

人間関係にフラフラになった時期

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ずいぶん古い話で申し訳ありませんが(笑)、私が消防士になったのは、大学を卒業した22歳のときでした。

とことん文化系一筋で育ってきた私は、運動部に一度も所属したことがないほど、体力にはまったく自信がありませんでした。

それでも細身だったおかげで、懸垂やら反復横跳びやら腹筋など、なんとか採用試験の体力試験もパスすることができました。

採用されて半年間は見習い期間で、毎日毎日訓練の日々でした。

私以外の人は、全員運動経験があったのですが、それでも毎日全員がフラフラになっていました。

あの頃は若くて、心も体も耐力があったのだと思います。

毎日毎日筋肉痛で、「もう行きたくない!」と思いつつ、それでもなんとか半年を過ごしました。

そんなふうに勉強でも、スポーツでも、がむしゃらにやれる時期があるのかもしれません。

しかし、それも個人差があったり、その人なりの年齢にもよるのかもしれません。



訓練でフラフラにならなくなって、今度は人間関係にフラフラになる時期もありました。

周囲からの評価、それも実にささいな個人的好悪の感情に振り回されるようになりました。

初任の頃は、新米だからと自分に言い聞かせ、なんとか耐えられたことが、30歳を過ぎると、だんだん耐えられなくなりました。

周囲のいろんな部分が見えてきたことや、自分の心の強度がどれほどのものかがだんだんわかってきたからなのかもしれません。

がむしゃらになんてやれない自分に気づいていました。

職場の上司の個人的な感情に振り回されて、メンタル壊している場合じゃない、と思いました。

自分には、守るべき家族がいるし、自分自身も壊されたくない、と強く思いました。

それに、体や心を壊すまでやって、現場活動に支障をきたせば、それこそ問題です。

自分自身に対しての自信のなさや、理想の自分像への裏切り度やらから、もう一度自分自身について考えてみる機会になりました。

「あきらめない自分」が芽吹くとき

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自分についていろいろと考えているうちに、無理をしないでしよう、と思うようになりました。

よく「寝てないアピール」が自慢気にくり広げられるように、「無理をしているアピール」もあります。

それだけ自分は頑張っているんだ、というアピールですね。

それは、周囲に対してだけではなく、自分自身にもアピールしていることが多いですね。

「無理すること」が美徳だと、どこかで思い込んでいるんだと思いました。

いつもどこかに後ろめたさを感じている自分に、「いいじゃないか、無理して壊れたら元も子もないよ」と言い聞かせました。

不安や恐れをゼロにすることができなくてもいい、と思うようにしました

あきらめずにいれば、きっと状況が変わる時期が来るだろうと。

ところが、その後何度か「あきらめるしかない」と思ったことが何度かあります。

「仕事を辞めたい」ではなく、「仕事を辞めざるをえなくなるかもしれない」と思ったこともあります。

何ヶ月も重苦しい日々を過ごした結果、行き着いた考えは、

「無理はしないけど、あきらめない自分でいよう」

でした。

「あきらめない自分」と、自分に言い聞かせることでようやくヘトヘトになったプライドを癒やすことができました。

脱サラして、メンタルヘルスを学んでからは、当時の自分の心理もよくわかるようになりました。

そして、それから20年近くもたった今では、ようやく「あきらめない自分」でいてよかったと思っています。

ひたすら頑張るべき時期なのか、それとも無理をしないで過ごすべき時期なのか、自分の心と体の耐力に注意を向けることが大切だと思います。

「あきらめない自分」を、何年でも保留したっていいじゃないですか。

心の奥深くひそかに隠してきた「あきらめない自分」がきっと芽吹く時期が訪れます。



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