誰にだって嫌いな人はいる


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どうしても好きになれない人、いませんか?

なんでこんなに嫌なんだろう、なんて思う相手の1人や2人、誰だっているんじゃないでしょうか。

表に出す出さないは別にして、誰もが好きな人と嫌いな人がいるはずです。

ただ、嫌いな人だからと距離を取ることができる環境だといいんですが、それができない相手だからこそ、よけいに「嫌い」が大きくなるのだとも言えます。


そんな嫌いな相手と口論したときなど、感情はただ「嫌い」が大きくなるばかりで、怒りが爆発しそうになることがあります。

そのとき、相手の感情や思考について思い巡らせることって、まずありませんよね。

せいぜい、

「まあ、よくもあんな理不尽なことが言えるなあ!」

とか、

「あそこまで憎たらしい奴は、そうそういないわ!」

なんて感じじゃないでしょうか。

自分の感情に気を取られるばかりで、相手がどうしてそんなことを言い出したのか、その心理を分析しようとも思いわないのが普通かもしれません。


私は、さすがに顔色を変えて激怒するようなことはなくなりましたが、若い頃はすぐに「カチン」ときて、言葉による戦闘モードに突入してました。

今思えば、あんなにまで怒ることができたなんて、エネルギーあったなあ、と思うくらいです。

感情にいいも悪いもない


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言い合いをした後に一人になって、

「これほどまでに相手を嫌うなんて、自分はなんて狭い心の持ち主なんだろう」

なんて、今度は落ち込んだりしました。



それでも、心理学を学びはじめて、「感情にいいも悪いもない」と知ってから、少しずつ変わりました。

相手のどこに違和感を感じたんだろう

相手の中に、自分自身の嫌な姿を見たからだろうか

自分自身の対極にいる存在だから嫌いなのだろうか

自分がよしとする信条や価値観と違うからなのか

そんなことを考えるようになりました。



さらに、自分の信条や価値観ってなんだ?

とも考えるようになりました。

自分が今まで意識したり、意識せずに選んできたことのすべてが絶対であるわけがない、というふうに一旦考えてみるようにしました。

そう考えてみることが増えてくると、相手の言動や態度についても、

「そうか、もっと評価してもらいたいがために、あんなに強引な自慢話を広げまくってるんだな」

とか、

「他人の考え方を受け入れることは、自分に価値がないと思われると怖れているんだな」

などと分析できるようになりました。

「そうか自分はあの人が嫌いなのか」で楽になる


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そんな分析が当っているかどうかは、わかりません。

ただ、自分は相手についてそう考えている、と思うことや、

自分は相手のそんなところに、ついつい反応してしまうんだな、

なんてふうに、少しずつ引きで見られるようになります。



それでも、「嫌いな奴は嫌い」でもいいと思うのです。

「私は私」でもいいと思うのです。

ただ、そんなふうに相手の心理や、自分の感情を眺めてみることで、息苦しさが薄らぎます。



「あの人の人を小馬鹿にした顔を見ると、腹が立って我慢できない」

「あの人の上から目線の口のきき方が許せない」

という感情から、「そうか、それであの人のことが嫌いなんだ」と一歩進めることで、気持ちが少し緩みます。

「どうして自分は人の嫌な面ばかり見てしまうのだろう」という自責の念から、

「自分はそんなふうに感じる人なんだ」と思うだけで、息苦しさが薄らぎます。

無理やり自分の感情をねじ曲げて、嫌いという感情を否定するよりも、否定的な行動や言動が減って行きます。

思えば、そこに思い至るまで、何年かかってるんだよ! と自分ツッコミしたいくらいです。

今も、実生活でメンタルヘルスの勉強&実践中です。