「悲しみ」は、何かを失った時に感じる感情

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特別、信仰心が篤くなくても、毎年お盆にはお墓参りに行くという人は多いようです。

私も、決して特別に信仰心が篤いわけではありませんが、お墓まりには行っています。

お墓参りに行くと、たくさんの人が線香を立てながら、手を合わせています。

穏やかな表情の人ばかりでしたが、きっと悲しみの涙を流しながら、手を合わせた頃もあったはずだと思いながら眺めていました。

「悲しみ」は、何かを失った時に感じる感情、と言えるかもしれません。

それは、人であったり、思いであったり、物であったりと、様々な対象があります。

悲しみに打ちひしがれるとき

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人は生きていると、小さな悲しみを何度も体験し、そのたびに乗り越えて生きていきます。

時には、打ちひしがれるほどの悲しみに出あうことがあります。

楽しかった日常が、突然悲しみの色に覆い尽くされることもあります。

それでも、立ち上がって歩きだすのには、とてつもない勇気が必要になります。



多くの人が、大きすぎる悲しみに直面したとき、その事実を受け入れることがとても困難になります。

そして、心を傷めて、涙を流して、悲しみを必死になって抱きしめようとします。

一方、心の痛みを遠ざけようとして、大切だったものの不在を見つめようとしない人もいます。


「悲しみ」を正視せずにいるためには、心を閉ざすしかありません。

「悲しみ」も「喜び」も感じない心になるしかありません。

悲しみも、喜びもない心になったとしても、大切なものの不在は埋まることはありません。

「悲しむ」は「愛する」という意味

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搬送中の救急車の中で、意識のない家族の手を握り、ものが言えないくらい不安で、怖くて、悲しくて、ふるえている同乗者を何百人も見てきました。

家族思う心を、痛いほど感じながら、救急隊員も必死になって搬送します。

救急車に同乗した家族、親戚、友人、同僚、いろんな関係性の中で、相手を思う気持ちの強さが、悲しみの深さに比例することがわかります。



古語辞典によれば「悲しむ」の意味は、
「いとしいと思う」
「愛する」

だそうです。

日本人は、昔から「悲しみ」を忌み嫌う感情だとは考えていなかった、ということになります。

むしろ、愛しいと思えば思うほど、失えば悲しみは大きい。

「愛する」が「悲しい」につながる日本人の心に、感動を覚えます。



大切な人との時間は、月日がたてば思い出に変りますが、大切な人の不在は、悲しみであることから免れることはありません。

そうであれば、悲しむときには、相手に感謝したいと思います。

親、祖父母、友人・・・

気持ちの行き違いで言い争ったこと
楽しい出来事に一緒に笑いあったこと
励ましあったことや、慰めあったこと
勇気や元気をもらったこと
一緒に涙を流したこと
共に過ごした時間に感謝しながら悲しみたいと思います。



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