何のために生まれてきたのか

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人は、人生で何度か

自分は何のために生まれて
何をやりたいのか

そんなことを考える時期があります。

それは思春期の多感な時期だったり、リストラされるときだったり、大切な人を失ったときだったり。


しかし、成人して社会人になり、生活も安定してくると、だんだんそんなことは考えなくなります。

仕事の忙しさに加えて、子育てで大わらわな時期には、なおさらほかのことなど考える暇もなくなります。

私も、歳をとるごとに加速度を増す時の流れのスピードに、なんとなく流されていく月日を送っていました。

生きていることの実感

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それでも、毎年何度か、時間の流れが止まったような錯覚を覚える瞬間を経験しました。

衝突の衝撃で、フロントガラスを破って車外に横たわる負傷者を見たとき

ガラスの破片が散乱した路面を、ストレッチャーを押しながら進むとき

動かなくなった人のかたまりを車内に発見したとき

焼け落ちた天井材の下の焼死体を発掘するとき

息苦しさの中で、不思議な感情が胸の中で渦巻いているのを感じました。

それをしいて言葉に置き換えてみるとすれば

生きていることは当たり前ではない

生きている時間には限りがある

そんな当たり前の言葉になってしまいます。

うまく消化できない「生きていること」の実感を抱えながら、自分のほんとうの思いから目をそらして生きていたことに気づきました。

ときには自分自身を見つめてみよう

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自分の思いをちゃんと見つめてみよう、そんなことを思いながら大量出血の止血をしたり、CPRを実施しました。

自分がどうなりたいのか

病院引き揚げし、帰署する救急車内の中で考えていました。

自分が生きている意味はなんなのか

おそらくいくつも意味があるはずなのに、ちゃんとそのことを考えたり感じたりしているのだろうかと、あらためて考えてみました。

そう意識して考えることで、ふだんは忘れている生きているありがたさだけではなく、自分の尊い存在価値や生きる意味を認識することができました。

慌ただしい日常の中でも、ときには自分自身を見つめながら聞いてみましょう。

「君は、なんのために生きているの?」

「君は、何をやりたいの?」

忘れていたことを思い出して、人や自分にやさしくできたり、新たな目標が生まれるかもしれません。